東本願寺の寺院、愛知県西尾市「隨縁寺(ずいえんじ)」のホームページ // zuienji blog //
「経済効率」、「時間効率」が娑婆を闊歩(かっぽ)?
老人にとって嫌な言葉です。考えることも、行動も鈍い年寄りは「競争社会には全く役に立たない非効率な存在」かもしれません。「老害」という言葉まであります。
でも、皆がこういう評価軸で考えたり、行動したりしたら世の中がギスギスした雰囲気になることは間違いありません。
美しい時間を感じた時
大阪造幣局「さくら通り抜け」で、すっかり疲れて近くの河川敷公園で休んでいたら、とつぜん小さな子が私たち老夫婦の顔を覗き込んできました。
それでこちらから「こんにちは」とあいさつしましたら、後ろから「こっちだよ」という女性の声。ふいっと後ろを振りかえって、きっと母親なのでしょう、そちらの方へトコトコと歩いていきました。
その歩く姿がとてもかわいらしく、またその小さな子と若い母親が歩いているときに、春の穏やかな風が吹いて、まだ残っている桜の花びらを散らし、それがその二人にやさしく舞い降りる様子はとても美しいものでした。後日連れ合いも「私もそう思った」と言ってましたのでやはり同じように感じていたのでしょう。
「効率優先の論理」で、このような時間、そしてその風景、またこれを楽しんでいる老人は無駄なものなのかもしれません。
chatGPT? 老人にはよく分かりません
パソコンが出現したときも、インターネットが出現したときも大騒ぎでしたね。
パソコンから、どんなに多くの「言葉」で語れても、どんなに美しい写真や映像を見せてもらっても、実際目で見たり、手で触れて得た感触、また口に入れた食感、味、においの感覚に勝るものはないと私は勝手に思っています。
また、AIによって疑似アドバイス・情報をパソコンから得ても、それが本当かどうか誰が保証するんでしょうね。ネット上の情報って結構いい加減なことが多いですよね。
東大の学長?が言っていましたけど、これからはやはりこの技術を上手に使わなければいけないみたいだし、これからの人は大変ですよね。ジジイには関係ないかな・・・。
さて、下は大阪造幣局の「さくら通り抜け」での写真です。たくさんの種類の桜が美しく咲いておりました。
下は「鎌足桜(かまたりざくら)」という品種。
「さくら通り抜け」は有名ですが、やはり行って自分の目で見てみないとその美しさは分かりません。(来年行けるかな?)
久しぶりに先輩が…
先輩と言っても、亡くなって10数年です。夢に現れたのです。私にとっては憧れの先輩で、まだ大学に入ったばかりの「田舎者」の私の面倒をよく見てくれました。
彼は、私より2歳年上で、東京育ち、父親はある大企業の役員で、およそ私の生い立ち・生活環境とは全く違っていました。日頃の振る舞いもスマートで、なにしろ身長は180センチ、ガタイはしっかりしていて、それこそ私と違って女性にモテモテでした。
彼とは大学を出た後も1年に1回くらいは集まって飲んでいたのですが、突然亡くなってしまいました、また残された奥様も最近亡くなられました。
どんな夢だったかは覚えておりませんが、あの格好いい彼がソファに座り、長い足を組み、私にA4サイズの紙をめくりながら「〇△▢…(覚えていない)」と話しかけてきました。そこで目が覚めたのです。
懐かしさとさみしさを感じながら、「いったいなんで現れたのかな?」としばらくボーっとしていました。
「人は死んだらただのゴミ」「人間死んだら終わり、何も残らない」という人がいますが、そうではありません。亡くなられてもご縁のある方の心にしっかりと、その方がおられるのです。また、自分自身の身体や考え方、そしてこれまでの歩みは「親や祖父母」など、ご縁のある方のおかげで成り立っておるのです。
さて先輩の彼ですが、田舎者の私によく「自由・平等・平和」について語ってくれました。そうです。「そんな青臭いこと」と思う人がいるかもしれませんが、いつの時代でも「青臭く語る」ことは大切なことだとあらためて思いました。彼が夢の中で言ったのは「大事なことを忘れるなよ」だったかもしれません。