東本願寺の寺院、愛知県西尾市「隨縁寺(ずいえんじ)」のホームページ // zuienji blog //
畠山重忠の子が親鸞の弟子に
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」での畠山重忠の子供が建てた寺はここです。
頼朝の死後、鎌倉政権内での権力闘争を描くこの番組で、先日放映された北条時政の謀略によって殺された畠山の生き残りの子供が、後に関東に来た親鸞の弟子になったのでした。
それにしても、鎌倉を支えてきた御家人が次々と消えていく様子は、いかに当時の関東武家集団の権力闘争が恐ろしかったということですよね。
1205年の親鸞
畠山重忠が殺された1205年当時、親鸞は京都の法然教団(直弟子200名以上)の重要人物として活動するようになります。
この年、親鸞は師である法然より「選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)」(法然著)を書き写すことを許可されます。また、法然の肖像画を作ることも許可されます。
これは、親鸞が法然の後継者の一人として認められた証(あかし)です。「選択本願念仏集」の書写が許されていた弟子は、親鸞以前は5人しかいません。いかに法然が親鸞を信頼していたかということです。