浄土教(法然の教え)が関東にひろまり始める
いつのNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」だったか忘れましたが、2代目鎌倉殿「源頼家」が、黒衣(こくえ、くろごろも)の僧侶の首を切れと命令したところ、家臣の一人から諫められたシーンがありました。この僧侶たちこそ、当時都(京都)で有名であった法然上人の称える「浄土教」の僧侶だったのです。
「念仏を称えれば、どんな悪いことをしても極楽に行けると言っている、とんでもない坊主らです」と家臣が、「頼家」に報告したのでした。(1200年頼家は「念仏禁止令」を出し、念仏僧を取り締まりました)
そうです。「念仏を称えれば、どんな悪人でも阿弥陀如来は救ってくださる」のです。殺し合いをしている御家人や、人殺しを命じる鎌倉殿も救ってくださるのです。
1201年親鸞は法然の弟子となる
このころの親鸞ですが、20年間修業していた比叡山延暦寺を出て、吉水(現在の京都 知恩院近く)にいる法然上人を訪ねます。そして100日間通い、法然の話を聞くことになります。(親鸞には色んな悩みがあったのでしょうね)
そして意を決して上人に会い、弟子となることを願い出たのでした。なお、本願寺の「親鸞聖人御絵伝」にはその場面が描かれtいます。またこの場面には
西仏坊もいっしょに描かれています。
また「正明伝」によれば、その年、法然の勧めで月輪殿(九条兼実)の娘「玉日」と結婚したとされております。