同じ太陽の下なのに
今日は縁側にすわって、まさに年寄りの「ひなたぼっこ」をしました。空は雲ひとつもない快晴で、昼食後のゆったりとした時間を穏やかに過ごしました。
アミターバ(無量光仏)、アミターユス(無量寿仏)と言われる阿弥陀如来の暖かい慈悲のお心を感じられるような時間でした。昔は、こんな年寄り、近所によくいたんですけどね…
しかし、こんな同じ太陽の下では、恐ろしい戦争が起きているのです。先日、大国ロシアが隣国のウクライナに侵攻しました。ロシアと比べて全くの小国ウクライナの悲惨なニュースがTV、インターネットから流れているのを見ると、とても悲しい気持ちになります。
アメリカや日本、そしてヨーロッパの国が、ロシアの蛮行を非難していますが、どうやらロシアのプーチン大統領は全く意に介さないようです。人が死のうが傷つこうが、ロシアの指導者らは全く気にしないようですね。恐ろしいことです。
「害せじと思ふとも、百人・千人をころすこともあるべし」(ころすつもりがなくても、100人・1000人ころすこともある)と「
歎異抄」にあります。きっとロシアのプーチン大統領は「殺したくない、しかしこのままではロシアが危ない。ロシア人の命と安全をを守るため、仕方なくウクライナを攻めたのだ。ウクライナ国民の多少の犠牲はやむを得ない」と考えたのでしょう。