本覚山 隨縁寺

東本願寺の寺院、愛知県西尾市「隨縁寺(ずいえんじ)」のホームページ // zuienji blog //

後生の一大事

安心は絶対不変か?

「安心(あんじん)」つまり「安らかなこころ」こそ、「幸福感」を生み出すのであると思っても、その「安心」がずっと保たれるわけではありません。

湧き起こる「煩悩」は、人間が生きている限り、止めどもなく心の奥底から噴出してきます。それにたとえ「幸せだなあ」と良い気分になっていると、突然奈落の底につき落とされることは人生によくあることです。

「不幸」は突然、思いも寄らぬ方向からあなたに襲いかかります。そんたなときに「平常心」でいられるでしょうか?たいていの人は恐れおののいたり、または大きな悲しみに打ちひしがれ、「神も仏もいないのか!」と恨み言を吐いてしまいます。

仏さまにたよって、熱心に「ナマンダブ、ナマンダブ」と念仏を称えたとしても、あなたもわたしも簡単に裏切られます。

「ナマンダブ、ナマンダブ」と称えて、ほとけさまからいただいたのは「安心」だけではないのです。これから自分の身に起こる出来事に対する「覚悟」もあるのです。いや、むしろ「仏さまからいただく安心」のなかには、この「覚悟のこころ」も入っているのかもしれません。

A級戦犯者の遺言ー教誨師・花山信勝が聞いたお念仏」(青木馨 編、法蔵館)には、戦犯として処刑される東条英機らと教誨師・花山信勝の交流が書かれています。この本にあるように、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えながら、潔く死刑台の階段を上っていく東条英機らのごとく、いざ「後生の一大事」を前に冷静な気持ちで自分はいられるでしょうか?

「安心」とは、たった二文字の漢字ですが、とても難しく得がたいものなのです。でも凡夫は「ナマンダブ、ナマンダブ」と念仏してほとけに頼るしかありません。

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