愛の物語と言えば、親鸞と恵信尼
巷では「バレンタインチョコレート商戦」の真っ最中ですね。最近は「愛の告白」よりも、頑張っている自分へのご褒美として高級チョコレートを買う人が多いようですね。元々はキリスト教のお祝いの行事なんですね。
私の所はお寺ですが、もう子供たちが小さい頃や、最近は孫から「チョコレート」をもらっては喜んでいます。おいしい物をいただいて、嫌な顔する人はいないと思います。
ところで、やはりうちは浄土真宗のお寺ですので「バレンタインデー」という「愛の行事」と言えば、「
親鸞と恵信尼の物語」を取り上げねばなりません。
1207年、当時親鸞は朝廷(後鳥羽上皇が最高権力者)から越後、現在の新潟に流されます。これが有名な「承久の法難」とか「建永の法難」と言われる事件です。恵信尼は流罪となった親鸞といっしょに越後に向かいます。(恵信尼とは流罪先の越後で出会ったという説もある)
この二人の物語はこの事件から始まったのです。その後流罪を許された親鸞は、1214年ごろ関東の常陸の国に二人(子供もいっしょ)で行かれます。そのころ関東はできたばかりの鎌倉幕府内の権力闘争が渦巻いておりました。1230年代の前半までいたそうですので、現在放映中の
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代とまさに重なっております。
親鸞晩年のころ、親鸞は都である京都に、妻の恵信尼は越後に居たと分かっております。どういういきさつでそうなったかは色々な説があります。ただ、大正時代に見つかった恵信尼直筆のお手紙から判断すると、けんか別れではないということはハッキリしています。
そうそう、愛の物語と言えば、
国文学者の石丸晶子さんの主張する「
法然上人・式子内親王の秘恋の物語」もありますね。法然上人と言えば、親鸞の先生でした。師・弟子とも美しい愛の物語があるのです。