鑑真(がんじん)が運んだ仏舎利(お釈迦さまの骨)
やはり、日本に運ばれた有名な仏舎利は、あの「鑑真」が持ってきたものであるということです。日本人留学僧「栄叡(ようえい)」の依頼で中国の高僧「鑑真」が来日したのは、753年でした。
それまでの日本の歴史教科書を少し開いてみると
729年 長屋王の変。長屋王自害。
735年 天然痘流行。多数の死者がでる。藤原4兄弟も死去。国内不安定。
740年 藤原広嗣(ひろつぐ)の乱。
741年 聖武天皇、国分寺建立の詔(みことのり)。
743年 大仏建立の詔。行基が指揮を執る。同じ年に「墾田永年私財法」出る。
749年 孝謙天皇即位(聖武天皇の娘)。
752年 大仏完成。
754年 聖武太上天皇、その妻、孝謙天皇は鑑真より戒律を授かる。
759年 鑑真のため唐招提寺建立。ここに仏舎利が納められる。
国内が不安定の中、聖武天皇とその妻光明皇后が「仏の力でなんとかしたい」という思いと、それに応えた鑑真の情熱のドラマがあります。鑑真は当時中国当局から日本への渡航を反対されたり、また遭難などで日本に来られず、最後は病で失明しながらもついに日本に来たのです。
このドラマからも、「本当にお釈迦様の骨なのか?」とか、「骨になんの意味があるのか?」という意見には全く同意できません。そこには「ほとけの教えを広めたい、ほとけの力にすがりたい」という人々のドラマがあるのですから。