東本願寺の寺院、愛知県西尾市「隨縁寺(ずいえんじ)」のホームページ // zuienji blog //
主観的判断・偏見(有無の邪見)から逃れることはできません
生きている限りわれわれの勝手な判断や思い込み、つまり「有無の邪見」から逃れること出来ません。しかし「平等覚(阿弥陀如来)に帰命しよう」と自覚することはできます。
そうすれば、目の前にある出来事への判断も、また違ったものになるはずです。煩悩に眼(まなこ)が曇り、真実が見えない場合が多いのです。「見落とし」なんか世間ではいっぱいあります。
※「平等覚に帰命」=「南無阿弥陀仏」のこと、
つまりお念仏しなさいということです。
「真実を見きわめることは難しい」ことなのです。「その難しさに気づきながら生活する」ことが大切だということです。