「鎌倉殿の13人」と親鸞 5
後鳥羽天皇、九条兼実と親鸞
さて、
4月10日(日)NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(第14回)では、平家のあやつり人形である安徳天皇を廃位し、後鳥羽(ごとば)天皇を擁立した場面が出てきました。また、後に、公家のトップになる九条兼実(くじょうかねざね 俳優:田中直樹)も出てきました。なお、親鸞は当時数えの11歳です。慈円のもとでまだ修行中の子供でした。
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後鳥羽天皇:(後に後鳥羽上皇) 和歌の名手で、「新古今和歌集」作成を藤原定家らに命じています。親鸞との関わりでは
①親鸞の師である慈円の「恋の歌」事件(1200年)
②親鸞の所属している法然教団への弾圧(1207年)
があります。
①では、親鸞が比叡山延暦寺を出て、法然の弟子になる理由のひとつになりました。
②では、法然は土佐へ、親鸞は越後へと流罪にされています。(建永の法難、承元の法難)
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九条兼実:親鸞の師である「慈円」は兼実の実弟です。源頼朝の力をバックに、摂政・関白になります。
ただ、後に朝廷内の権力争いに敗れ失脚してしまいます。長男の死去、失脚がもとで、兼実は浄土教の開祖法然の熱心な信者になります。
親鸞との関わりでは、親鸞の最初の妻が兼実の娘「玉日(たまひ)姫」であるという話があります。
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