本覚山 隨縁寺
東本願寺の寺院、愛知県西尾市「隨縁寺(ずいえんじ)」のホームページ // zuienji blog //
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どうする家康 駿府城
駿府城跡公園
訪れたときは、幼稚園児の遠足?みたいであちこちで子供たちの声がしました。
なお。「大河ドラマ館」はここにはありません。近くの神社にあります。
城は残っていません。現在天守閣の発掘中です。
これは家康の銅像
天守閣の発掘調査中です
櫓と北門?だったかな・・・
堀ですが、まだ外側にまた堀があります。
紅葉庭です。現在一部工事中です。秋は紅葉がきれいなんでしょうな。
ダイアリー
2023/06/20 17:03
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私訳「正信偈」の10
宣説大乗無上法(せんぜだいじょうむじょうほう)
證歓喜地生安楽(しょうかんぎじしょうあんらく)
顯示難行陸路苦(けんじなんぎょうろくろく)
信楽易行水道楽(しんぎょういぎょうしいどうらく)
果たして、釈迦如来の予言通り、龍樹菩薩が現れて
多くの人々を救う(大乗)の教え、それはこの上もない教えであり
その教えはしんずれば、安楽の境地に達すると示されました。
その教えは厳しい修行を伴うような陸路の道ではなく、
誰もが、心から楽しく進める海上の旅のようなのです。
憶念弥陀仏本願(おくねんみだぶほんがん)
自然即時入必定(じねんそくじにゅうひつじょう)
唯能常称如来号(ゆいのうじょうしょうにょらいごう)
応報大悲弘誓願(おうほうだいひぐぜいおん)
心より、弥陀如来の「本願」を信じましょう
そうすれば自然と心の安らぎを得ることができます
ただ、如来のお名前を称えるだけなのです
まさに、如来の大いなる慈しみの誓願に報われ
私たちは救われるのです
(注)いよいよここから七高僧の教えと業績が出てきます。最初が「龍樹」というわけです。
正信偈
2023/06/20 16:51
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私訳「正信偈」の9
印度西天之論家(いんどさいてんしろんげ)
中夏日域之高僧(ちゅうかじちいきしこうそう)
顕大聖興世正意(けんだいしょうこうせしょうい)
明如来本誓応機(みょうにょらいほんぜいおうき)
インド・西の国の学者たち
中国・日本の高僧がたは
お釈迦様がこの世に現れた本当の意味を明らかにされたのです
それは「如来の本願」が、煩悩にまみれた人々に合った教えであることを明らかにされたのです
釈迦如来楞伽山(しゃかにょらいりょうがせん)
為衆告命南天竺(いしゅうごうみょうなんてんじく)
龍樹大士出於世(りゅうじゅだいじしゅっとうせ)
悉能槯破有無見(しつのうざいはうむけん)
釈迦如来が楞伽山において
人々に南天竺(インド南方)に
龍樹
という高僧があらわれて
人々の心にある「有無の見方」のあやまりを
次々と打ち破っていくでしょう
と予言されたのです
有無の見:
否定と肯定、正と負、「存在しない、存在する」などと物事を極端な考えで見るということ。龍樹はそのような見方を排して、「空」の考えを展開した。
正信偈
2023/06/17 16:16
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私訳「正信偈」の8
弥陀仏本願念仏(みだぶほんがんねんぶ)
邪見憍慢悪衆生(じゃけんきょうまんあくしゅじょう)
信楽受持甚持難(しんぎょうじゅうじじんになん)
難中之難無過斯(なんちゅうしなんむかし)
阿弥陀如来の「本願」を信じ念仏することは
(一見、簡単にできる行に見えますが)
邪見や憍慢で心が乱れていつ我々凡人にとって
本願念仏の教えを喜んで信じ、続けることは大変難しいことなのです
それは難しいことのなかで、一番難しいことと言ってもよいでしょう。
邪見:よこしまな考えや間違った考えで、人や物事を見ること。
憍慢:おごりたかぶっていること、いい気になって浮かれているさま。驕慢とも書く。
正信偈
2023/06/17 13:51
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私訳「正信偈」の7
譬如日光覆雲霧(ひにょうにっこうふううんむ)
雲霧之下明無闇(うんむしげみょうむあん)
たとえば、太陽の光が、霧や雲によって覆われていても
雲霧の下は、真っ暗ではなく、ちゃんと見ることができて安心なのです。
だからどんなに煩悩が人の心を惑わしていても、
仏の光によって、人々は安心して迷いながらも人生を歩むことができるのです。
獲信見敬大慶喜(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき)
即横超截五悪趣(そくおうちょうぜごあくしゅ)
そんな偉大なほとけを信じ、大きな喜びをもって歩んでいけば
五道六道の輪廻に迷う世界から、それを一挙に飛び越えて(横超截)
清く安らかの心で、浄土往生という人生の道を歩んでいけるのです。
※五悪趣: 地獄・餓鬼・畜生・人間・天の五つの世界、これに修羅を加えれば6つの世界。
仏教では、人間はこの世界をぐるぐると輪廻・転生しているという考えがあります。
一切善悪凡夫人(いっさいぜんまうぼんぶにん)
聞信如来弘誓願(もんしんにょらいぐぜいがん)
すべての善と悪の境界でうろうろしている凡人が
阿弥陀如来の人々を救おうと誓われた広大な願いを信ずれば
仏言広大勝解者(ごつごんこうだいしょうげしゃ)
是人名分陀利華(ぜにんみょうふんだりけ)
ほとけはこのように言われるのです。
「彼らは、仏の願いをまことに正しく理解する人々(勝解者)なのだ。
かれらこそ、極楽浄土に咲く美しい白蓮華(びゃくれんげ)=分陀利華(ふんだりけ)なのだ」
正信偈
2023/06/10 06:32
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殉教者法要開催される
6月5日一色赤羽別院にて厳修されました。
明治初頭の大浜騒動と言われる事件に関して亡くなられた方々への弔意と、出来事を忘れないようにと毎年行われています。
ダイアリー
2023/06/06 09:07
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花祭り
昨日は避難指示が出るほどの豪雨でしたが、今日は打って変わって快晴でした。
地区の仏教会行事の花祭りが地元のお寺(平原町成善寺)で開かれ、子供たちが参加してくれました。
平原町の方々が、事前に準備してくださいました。特に本堂内のお花は、「花まつり」にふさわしく美しくはなやかに飾られていました。ありがとうございました。
上はお釈迦さまに花をあげているところです。
上はお釈迦さまに甘茶をかけているところです。
ダイアリー
2023/06/03 17:24
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私訳「正信偈」の6
凡聖逆謗斉回入(ぼんしょうぎゃくほうさいえにゅう)
如衆水入海一味(にょうしゅうしにゅうかいいちみ)
凡人、聖者も、五逆・謗法の悪人たちも、
すべてひとしく救われ浄土に往生するのです。
それは、もろもろの川の水が海に流れ込んで
ひとつの味になるがごとしです。
※五逆…①父を殺す②母を殺す③聖者を殺す④仏を傷つける⑤教団を破壊することを言う。
※謗法…仏法を非難すること・仏法をそしること。
摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご)
已能雖破無明暗(いのうすいはむみょうあん)
すべてを救う仏の光は、常に私たちを照らし守っています。
しかしながらその光が、世の中の無明の暗(くら)やみを破っているといっても
貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ)
常覆真実信心天(じょうふしんじしんじんてん)
わたしたちの、あさましく貪(むさぼ)る心、怒りと憎しみに満ちた心は
雲・霧のように私たちの心を暗く覆(おお)うのです。
その煩悩に汚れたこころはいつも、晴れ澄み渡った天空にある
「真実の心」「まことの信ずる心」を覆い隠しているのです。
正信偈
2023/06/03 06:52
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