蓮如の「疫病の御文」
蓮如とは親鸞から始まる本願寺の第八世にあたるひとです。(1415年~1499年)。日本史の教科書では「応仁の乱」「一向一揆」と「蓮如」はセットで取り上げられています。
蓮如は、「御文(おふみ)」もしくは「御文章(ごぶんしょう)」と言われる「やさしい言葉で書かれた手紙」使って「親鸞の教え、念仏の教え」を広めました。
本願寺の門徒(信徒)の法事の最後に読まれる「末代無智(まつだいむち)の在家止住(ざいけしじゅう)の……」のあれです。これは御文五冊めの最初に書かれているものです。
その四冊目の御文の中にある「疫れいの御文」(疫病の御文)は、この新型コロナによるパンデミックで注目されています。
困難な時代を生き延びた蓮如
「当時このごろ、ことのほかに疫れいとて人死去す。これさらに疫れいによりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりして定まれる定業(じょうごう)なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。……」と始まる御文です。
実際の文章や現代語訳はネット上でも公開されているので、ここではあえてそれを書きません。ただ、この御文は蓮如78歳のときのものだということです。
蓮如は6歳で生母と生き別れ、継母からのつらい仕打ちに遭ったりしています。また最初に迎えた妻如了(にょりょう)、2番目の妻蓮祐(如了の妹)を病気で亡くし、その後迎えた妻も亡くしています。さらに長男の順如(じゅんにょ)、次女の見玉(見玉)など7人の子供も亡くしています。
本願寺が破壊される(寛正の法難1465年)事件、応仁の乱という戦乱時代(1467年~1477年)、続発する「一向一揆」などに巻き込まれながら、この御文を書いた歳(78歳)までなんとか生き延びてきました。
念仏を称えながら元気よく生きていこう
ですから、私はこの疫病の御文から
死は悲しい。でも死んでしまったことをいつまでも悲しいでいてはいかんぞ。運命と思うしかない。その人の寿命なんだと思うしかない。だがな、この疫病の中でわれわれはなんとか生き延びているじゃないか。
悪業煩悩(あくごうぼんのう)の身なりといえども、阿弥陀さんは「まだこちら(浄土)へ来なくてもええぞ」とわれわれに言っているようだ。
だから「昨日はきのう、今日はきょう。明日のことは、ほとけにおまかせ」と、阿弥陀さんのお迎えがくるまで、念仏を称(とな)えながら元気よく生きていこうではないか。
と、蓮如の気持ちがうかがえるような気がするのです。