父の弟が以仁王(もちひとおう)の家庭教師
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、「1180年 以仁王の乱」が取り上げられていました。この以仁王の家庭教師をしていたのが、親鸞の父「日野有範(ありのり)の弟、日野宗業(むねなり)」でした。以仁王が討たれたとき、まわりの平氏の武者たちは誰も彼を知らなかったのです。
そこで宗業は、以仁王の「首実検」に呼ばれたそうです。また、親鸞の父有範の兄「範綱(のりつな)」は、「鹿ヶ谷の陰謀(1177年)」に関係したと言われるなど、この日野家は当時の平家にとって「あやしい一族」だったのでしょう。
1181年の平清盛(たいらのきよもり)の死後、都では平家の厳しい取り締まりが始まりました。親鸞の母も「源氏の娘」と言われていました。そのため、安全な比叡山に移そうと、親鸞の出家(1181年、当時数えで9歳)が行われたとも言われています。当時親鸞の父有範は姿を隠しておりました。