最近は、樹木葬とか海へのお骨散布など、「お骨」の埋葬も新しい方法が注目されております。しかし、現在も多くの場合、「墓地(または納骨堂)にあるお墓」というところに埋葬されているようです。
そしてその「墓地(または納骨堂)のお墓」というのは、「〇〇家」のお墓・納骨壇とか、集団の合葬のお墓・納骨堂、または個人ごとのお墓・納骨壇だったりします。
つまり、娑婆にいたときの肉体(骨になっていますが)を大切に扱っているということです。しかし、かって日本では庶民の場合、亡くなった人をそのまま山野に捨てたり、川に流したりしていました。丁寧に扱う場合は土葬でした。
お釈迦さまが最初
火葬し、お墓を作るというのは、もともと2500年前、仏教の開祖「お釈迦さま」(インド生まれ)を火葬にした後、そのお釈迦さまの骨を埋めて、その場に目印として「塔」を建てたことに由来したものです。
お釈迦さま自身は、当時のインドの風習にしたがい、「自分の骨を川に流してくれ」と言っておりましたが、お釈迦さまを慕う弟子や多くの信者が、偉大なお釈迦さまに未来永劫に会いたいと願い、そのようなお墓という形にしたのです。なお、インドのヒンズー教徒は現在でもお骨を「聖なる川」、つまり「ガンジス川」に流しているそうです。
親鸞聖人の場合は
親鸞聖人も「私が死んだら鴨川に流してくれ」と言っておりましたが、遺族・弟子たちは聖人のお墓を作り、そこを熱心にお参りしたのです。これが現在の東本願寺や西本願寺のもとになったのです。
さて、日本においては、亡くなられた方を大切に思う心が「お墓に納骨」するという形なったのでしょう。たいていの国にもお墓はあります。それは亡くなったといっても、故人を大切に思う有縁の人々がいるからなのです。
「ただの骨じゃないか」と考えて片づけますか?それ、「家庭から出たごみ」と同じ扱いでしょう?