本覚山 隨縁寺

東本願寺の寺院、愛知県西尾市「隨縁寺(ずいえんじ)」のホームページ // zuienji blog //

「鎌倉殿の13人」と親鸞 11

建久7年の政変(1196年)

1196年、頼朝の力で摂政・関白になった九条兼実は、ライバルの土御門通親によって役職をはく奪されます。また娘任子も後鳥羽天皇との間に男子は生まれず、策略のよって内裏から事実上追放されてしまいます。これが建久7年の政変と言われるものです。

すでに長男も亡くしている兼実の心中は如何ばかりかと思われます。また、親鸞(当時の名前は範念)の師であった慈円(兼実の実弟)も天台宗のトップから転落します。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(6月26日放映)でありましたが、1199年、頼朝は突然死んでしまいます。兼実も慈円も頼朝の上洛をまた願っていましたが、頼朝をあてにしていた2人はさぞショックだった思います。

さて、兼実は失意の中、しだいに浄土宗の開祖法然の教えに惹かれていくことになります。また一方の慈円はというと、和歌の才覚もあり政治的に上手に立ち回り、後に天台宗のトップに返り咲いたりします。兄弟それぞれ明暗が分かれることになります。

ただ比叡山にいた範念(親鸞)は師である慈円の下におりましたが、後に法然の弟子となり(1201年)、慈円の実兄である兼実の娘「玉日」と出会うことになるのです。ドラマの「頼朝の死(1199年)」から2年後の話です。

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