東本願寺の寺院、愛知県西尾市「隨縁寺(ずいえんじ)」のホームページ // zuienji blog //
自利利他 …自ら功徳を積み、他を救済する。
「布施」は自利利他行のもっとも簡単な行為の一つです。他人を助け、その人が幸せな気持ちになれば、自分も幸せな気持ちになります。布施をしましょう。
と言っても「無理な布施」は長続きしませんし、自分自身が苦しくなって、それは「幸せ」とは反対な気持ちになってしまいます。また、布施の見返りを期待してはいけません。見返りを期待するのは布施とは言いません。
ところで、布施には以下の財施と無財施の二つがあります。
(1) 財施(文字通り経済的な布施行) 「お賽銭」も仏様への大切な布施です
お金や、物で無理のない範囲で支援することです。「無理かな?」と思ったら、やめればよいのです。中には詐欺まがいの寄付依頼もありますから注意しましょう。
(2) 無財施…無財の七施 「顔・眼・愛語・身・心・床・房」(がんがんあいごしんしんしょうぼう)
①眼施…やさしいまなざしを
②和顔施…人には笑顔を
③愛語施…思いやる言葉
④身施…ちょっとした手助け
⑤心施…思いやりの心を持つ
⑥床座施…ひとに席を譲る
⑦房舎施…雨露をしのぐ場所を提供
の七つの布施を言います。
念仏を称(とな)える
…「ナマンダブ」と静かに声を出す
念仏を静かに称(とな)えると、煩悩に迷う自分に気付きますし、仏のこころに気づいたりします。そのおかげで心が安らかになり、また自然と満たされた気持ちにもなり、幸せを感じるようになります。
いつでも念仏はできますが、たとえば目が覚めた時、またこれから眠るとき、布団の中で静かにお念仏を称えると、安心感・幸福感を感じるようになります。ぜひみなさまにおすすめします。
大切な方の最後を美しく荘厳することは、残されたわたしたちのつとめです
なぜお葬式をするのでしょう?よくあるのは、身内が亡くなると「うちは東本願寺だった?」とか「〇△宗だった?」と周りの方に聞いてから、あわててお寺に連絡を入れるとか、もしくは「どこでもいいや」と葬儀屋に寺を紹介してもらう場合です。
また最近では「うちは無宗教だから」とか、「坊さんを呼ぶとお礼が高いから」という理由で、葬儀をせずにそのまま火葬するという「直葬(じきそう)」を選ぶ家庭あるようです
ほとんどの宗教は必ず葬式をします
葬式のやり方は別として、世界の5大宗教「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」「仏教」「ヒンズー教」は葬儀を執行します。
仏教の場合、現世つまり娑婆(しゃば)に生まれ、そして世の中を一生懸命に生きてこられた方のご苦労を偲(しの)び、またその人からいただいたご遺徳(いとく)に感謝し、浄土(最近では天国とも言います)に旅立とうとする方の大事な時を、美しく荘厳することは残された私たちの大切なつとめであると考えています。それが葬式なのです。
ここでいう私たちとは、遺族だけではありません。故人に縁のあったすべての人々を言います。一番悲しんでいるのは家族ですし、いろいろ事情もありますが、そういう方たちにもできれば声を掛けてください。
「無宗教だから」とか「お金が無いから」と言って、そのまま火葬にすることは賛成できません。案外手ごろなお礼で済むお坊さんもいます。「故人の尊い人生の最後を美しく荘厳」してください。そのまま火葬にすることは、見方によっては「粗大ごみを焼却処分する」と同じことです。