東本願寺の寺院、愛知県西尾市「隨縁寺(ずいえんじ)」のホームページ // zuienji blog //
久しぶりに先輩が…
先輩と言っても、亡くなって10数年です。夢に現れたのです。私にとっては憧れの先輩で、まだ大学に入ったばかりの「田舎者」の私の面倒をよく見てくれました。
彼は、私より2歳年上で、東京育ち、父親はある大企業の役員で、およそ私の生い立ち・生活環境とは全く違っていました。日頃の振る舞いもスマートで、なにしろ身長は180センチ、ガタイはしっかりしていて、それこそ私と違って女性にモテモテでした。
彼とは大学を出た後も1年に1回くらいは集まって飲んでいたのですが、突然亡くなってしまいました、また残された奥様も最近亡くなられました。
どんな夢だったかは覚えておりませんが、あの格好いい彼がソファに座り、長い足を組み、私にA4サイズの紙をめくりながら「〇△▢…(覚えていない)」と話しかけてきました。そこで目が覚めたのです。
懐かしさとさみしさを感じながら、「いったいなんで現れたのかな?」としばらくボーっとしていました。
「人は死んだらただのゴミ」「人間死んだら終わり、何も残らない」という人がいますが、そうではありません。亡くなられてもご縁のある方の心にしっかりと、その方がおられるのです。また、自分自身の身体や考え方、そしてこれまでの歩みは「親や祖父母」など、ご縁のある方のおかげで成り立っておるのです。
さて先輩の彼ですが、田舎者の私によく「自由・平等・平和」について語ってくれました。そうです。「そんな青臭いこと」と思う人がいるかもしれませんが、いつの時代でも「青臭く語る」ことは大切なことだとあらためて思いました。彼が夢の中で言ったのは「大事なことを忘れるなよ」だったかもしれません。
大根(だいこん):「親鸞聖人が布教で村を訪ねた時に、村人が大根を煮てもてなした」ことに由来します。
椎茸(しいたけ):越後(新潟)地方、関東地方を歩いて布教されたときに頭にかぶった笠(かさ)を表しています。
厚揚げ:これも布教時に身につけていた袈裟(けさ)を表しています。
ごぼう:布教時に持ち歩いていた杖(つえ)を表します。
にんじん:あちらこちらに歩いて布教されておりましたから、足の裏や指から出血してしまうほどのご苦労をされたことを表しています。
里芋(さといも):布教時に泊まる家もなく、大きな石を枕に寝たという話に由来しております。実際茨城県には、親鸞ゆかりの「枕石寺」というお寺もあります。